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 パガンの仏塔 ビルマ(ミャンマー)1986 Jul/6~12 #V

#T 1日目  2日目(タイ)  2日目(ビルマ) 3日目    |    #U 4日目  5日目    |    #V 6日目  7日目
     

6日目 パガン

     
7月11日 金曜日
 午前2時45分、起きるには辛い時間だ。
湿っている洗濯物を、ハンガーから外してバックに詰める。まだ腹の調子が心配だ。身仕度を整えてロビーに降りて行くと、頼んでおいたタクシーが既に待っていた。

 車体の重い年代もののタクシーは、街灯の絶えて無い漆黒の街を走っていく。ヘッドライトが縦に大きく揺れて、足許の未舗装の荒れた路面と、土色の家並みの壁を交互に照らし出す。街はまだ深く眠っている。

 路地の一角、柱に吊るされた裸電球のセピア色のスポットライトが、灯下に佇む男や女、老人子供の姿をゴッホの油絵の如くに浮かびあがらせていた。そこが長距離バスの駅だった。人々の奥に、鉄道の沿線で見慣れた旧式で小さい、ペンキは剥げて錆びが浮き、ドアの外、リヤバンパーや屋根の上まで人を満載して走っていた、まさにあのバスが待っているではないか。

 「パガンヘの定期バスは二通ります。小型は一時間早く着きますが、座席が狭くて乗り地が悪いですよ。」
 と昨日ツーリストパーマで聞かされて、快適なはずの大型バスを予約したつもりだったけれど、認識があまかったのか、ツーリストの間違えなのか。
 「これで8時間かよ、飛行機にすればよかった。」
 と一瞬たじろいだが、運命があらゆる経験をさせてくれようとしているのだ。ここまで、いろいろある程旅は楽しいではないか、と自分を踏み止めた。

 バッグを屋根の上の荷台に積んで貰い、車内に入る。外国人の乗客は、私の他にオーストラリア大、カナダ大、アメリカ人の三人の男性とドイツ人の二人の女性がいた。外国人旅行者、一固まりになるように席が指定されていた。二人掛のバスのシートはとても小さくて、前の席との間隔も狭い。私の隣に座ったアメリカ人を除く四人は、皆飛び切りの大男と大女だったから、体が坐席から溢れている。ツーリストパーマでの同じような経緯を話し合って大笑いしている。

 私の席は二人掛けシートの一番後ろだった。さらにその後ろ、最後部の4人掛程のシートには、7人分の座席番号がビルマ文字で打ってあった。とても無理だろうと思ったその人数が、やがて一人また一人と席に着かされていった。中央の狭い通路や、7人掛シートの前にある、乗り降りの為の僅かな空間にも、幼児を連れた母親や、手荷物を両手に抱えたおじさんおばさん達で埋められていった。互いに自分の場所を少しでも確保しょうと、大きな声で言い合いをしている。バスの運転手が叱り付ける様にして騒ぎを納め、皆を床に座らせた。鶏が鳴き始めていた。













 
 





 出発して1時間もしないうちに尻が痛くなってきた。明るくなれば少しは気が紛れるだろう。それより腹具合が心配だ。

 2時間おきに駅に停り、その度に15分程の休憩があった。乗客はバスを降りて、レストハウスで食事やお茶を楽しんでいる。バス停には果物や菓子などの売り子も集まってくる。15・6才ぐらいの太った娘を連れたおばさんが、パイナップル売りのアルミのお盆に載っていた切り身を、一つ一つ手で掴んでは品定めをしている。その度に、指の間からパイナップルの汁がポトポトと垂れている。全部の検査を終えると不服そうに何事かを呟いて、結局買うのをやめてしまった。どこの国でもおばさんは大したものだ。売り子の痩せた娘は、荒らされたお盆を恨めしそうに見詰めていた。

 私はバス停の周りをぶらついて、凝った体をほぐした。早朝の村々は、黒い塗物の鉢を抱えた托鉢の若い坊さん達、学校に通う子供の群れ、行き交う一頭立の馬車で賑わっている。

 途中の村から、乗降口の外やリヤバンパーの上に、男達がしがみついて乗ってきた。大抵はロンジーにゴム草履姿だ。風に吹かれ埃にまみれて、バスの振動と共に大きく揺さ振られている彼等の様子が、すぐ後ろの窓に見えている。彼等には悪いけれど、私はバスの中でビルマを感じ、不思議な快感に浸っていた。

 玄米パンーつだけしか食べずに我慢したので、どうにか腹の方は騒ぎを起こさないでくれた。水の枯れた大きな河を二つ越えた。時計は11時半を過ぎている。パガンは近い筈だ。
 
 
 突然大きな詐裂音と共に、足許から白い煙が立ちのぼってきた。何事かと思う間に、ゴムの焼ける匂いが鼻を衝いてくる。バーストだった。ラングーンに戻る飛行機の予約が取れるかどうか心配なのに、ここまで来て足留めはないではないか。しかし焦ってもしかたが無い、これも旅の思い出だ。

 付近は炎天に晒されていた。200メートル程先に緑に囲まれた一画があり、乗客達は木陰を求めぞろぞろと歩いて行く。そこは、相当長く稼動した形跡の無いポンプ小屋と、水の淀んだ溜め池が残る、廃棄された水道施設だった。庭の木陰で昼食を取ったり新聞を読んだり、皆思い思いにタイヤ交換の終わるのを待っている。

 近くの農家の娘が、天秤棒を担いで溜め池の水を汲みきて、通りかかった。弁当を広げていた例のおばさんが娘を呼び止めて、運んでいた瓶から、水をすくって無造作に飲んでいる。
 
 
 30分ほどタイムをロスして再び出発した。程無くパガン上流5キロの街、ニァウンウーのターミナルに到着。隣の席の青年と、5チャットずつ出し合い、トライショーを頼んでパガンにあるツーリストバーマへ急いだ。

 まるでレンガを砕いてまいた様な、赤茶色の平原を貫いて、アスファルトで舗装された黒い道が遥かに続いている。道は真っ直ぐで僅かに上り坂。中天の太陽が、間断無く熱い光の矢を射掛けてくる。沿道に楯と成るべきる樹木無く、ときおり背の低いサボテンが傍らを通り過ぎて行く。トライショーの車夫は二人の男を乗せて、それでも汗をほとんどかいていない。

 先程からリズミカルな蹄の響きが背後に近付きつつあった。その二台の馬車は、しばらく我々をからかう様に並んで走り、二言三言漕ぎ手に声を掛けて、また近付いて来た時の様に、ゆっくりと追い越して行く。2台の馬車は、逃げ水に車輪を浮かせ、陽炎の中で揺らきながら遠ざり、やがて徐々に逃げ水に身を沈め、地平線に消えた。

 ビルマのトライショーは座席が背中合わになっていて、二人の客は各々前向きと後ろ向きに乗る。アメリカ人の青年は私に前向きの席を譲ってくれた。道すがら、彼と背中で話をした。テキサスから来たボブ君は、大学を卒業してから1年半ほど会社に勤め、そこを辞めてこの1月以来旅をしている。今年一杯いろいろな国を回ってみるつもりだと言う。昔私がやろうとして、しかし果たせなかった夢の只中にこの青年はいる。うらやましくもあり、心から良い旅が続くことを祈った。

 バスの中ではほとんど会話の無かった彼と、トライショーに乗ってから初めて自己紹介をし合っていたら、トライショーの車夫が聞いた。
「あんた達は友達なのかい?」
「ああそうだよ、今なったばかりさ。」
 
 
 街を囲んでいる城壁の赤いレンガはほとんど崩れ去って、城門のアーチの形だけがようやく保たれていた。旧都パガンだ。この都城を中心にしてモン様式ビルマ様式、大小2千余りのパゴダが、イラワジ河中流域のこの平原に林立している。

 城門を入ってすぐ左側に、白木造りで吹き抜けのツーリストパーマの建物はあった。開け放たれた事務所のカウンターで、アメリカ人らしい旅行者が二人、当惑した様子で担当官の女性と交渉している。まっまさかっ! 皮膚が泡立ち、顔から血の気が引いていく。

 二人がカウンターを離れている隙に、「明日のラングーン行きの便は取れますか。」と担当官に聞いてみた。 
 「I'm sorry 明朝のラングーン行きの便は満席です。」
 と、事も無げに宣言されてしまった。どおしょう。私は咄嵯に、とにかくここは大袈裟にがっかりして見せなければ、と直感し、
 「Oh my Good! この通り、ビルマ政府が発行したビザの期限は明日までです。ラングーン発ハンコック行きの飛行機も、明日午後の便を予約してあり、間に会わないと日本に帰れなくなってしまう。」
 と、すがるように訴えた。
 「でしたら今直ぐラングーンに向けて出発しなければいけません。バスでタジまで行き、そこから鉄道を使えば、明日の朝にはラングーンに着けます。」
 美人の担当官の返事は冷たかった。

 ようやくたどり着いたメインにしていた目的地、パガンのパゴダ群を見られないのはいかにも惜しいし、これからまた、バスと鉄道を乗り次いで帰るのか思うと、まったくぞっとするけれど、この際他に方法が無い。
 とうとう諦めて、
 「オーケー、それで行きます、直ぐチケットを作ってください。」
 予約済みのラングーンー・バンコック・トウキョウ間の航空券を示しながら投げ遣りに言うと、彼女は細い首を傾げて、少し悲しそうな顔をした。
 「それでは、しばらく向こうの椅子で待っていて下さい。」

 彼女の指差す、カウンターから離れた通り側の位置に、黒い革張りの大きなソファーがある。私は半分開き直り、半分は彼女の同情的な眼差しに一縷の望みをつないで、ソファーに深く腰を掛け、垣根越しに通りをぼんやり眺めていた。向かい側はカフェテラスになっていて、旅行客が昼食を摂っている。のどかで満足そうな彼等の様子が、むやみに明るく目に写る。先に来ていた二人づれは諦めて、しあさって、月曜日の予約をして出て行った。やれやれ明後日の便も無いのか。

 彼女が黒い表紙の大きな台帳を抱えてやって来た。前に座り、台帳を開いてためらいがちに話しはじめた。
 「これは特別の抑らいだから秘密にして下さい。訳が有って明日の便に一席だけキャンセルがでそうです。予約しておきますか。」
 えっ本当?「イエス オフコース、チェーズーテンバーデー(ありがとう)!」

 運が良かった。リスクを犯し過ぎたか。幸運の女神はいつも微笑んでくれるとは限らない、感謝しなければ。
 早速手続きをしてもらい、ホテルの予約もお願いして、ツーリストパーマを出た。
 
 
 オフィースの外で待ち構えていた馬車の一人に、午後からのパガンの案内を頼むと、ホテルまで連れて行ってくれた。

 ツーリストパーマの在る東の城門から都城の街中を通り、南に抜け出たイラワジ河の畔に、濃い緑に囲まれたスリピチャッタホテルがある。広い敷地に芝生をしきつめ、コテージ式の清楚なホテル。棟をつなぐ石畳の路の両側には、紫と黄色の花が咲き乱れている。少し広くなった庭園の中央に、一本植えられた火焔樹が陽光を浴びいて、深紅の花が川からの風にそよいでいる。敷地のすぐ近くにパゴダの一つが迫り、崩れかけた赤いレンガを見せている。この申し分の無いホテルにたった一泊、いまから半日しか時間が無い。

 部屋に荷物を放り込み、ベッドに体を投げ出してしばし休む。案内の馬車は、1時に来てくれるはずだ。
 
 
 迎えに来たのは、交渉をした男とは違っていた。値切ったので下請けをよこしたかな。英語のほとんど話せないが、物静かな御者だった。馬車は小柄な馬に引かせた一頭立。車輪が大きくて大型の人力車といったイメージだ。蹄の軽やかなリズムに揺られ、広く点在するパゴダの一つに向かい、砂地の道を行く。

 小さな馬車は意外に速い。私は御者席の隣に足を踏ん張って座っている。緑色のロンジーを巻いた、学校帰りの裸足の少年が三人前を歩いている。馬車が少年達を追い越すと、一人が走って来て後ろの席に飛び乗った。御者が叱ると身軽に飛び降り、笑いながら手を振っている。少年達の姿は、馬車の立てる土埃にかすみながら遠ざる。
 
 
 赤い廃墟、スラマニ寺院(Sulamani Temple)は遠くから見えていた。馬車が近付くにつれて、カメラを引きつつ撮影した、映画の一場面ように、馬車と私はどんどん小さくなり、レンガの遺跡は思いがけない大きさと重量感で眼の前に立ちはだかった。

 御者は寺院の外に馬車を停める。私は裸足になり門を潜って中に入っていった。参詣人はいない。おびただしいレンガを積み上げた巨大な建造物の中は暗く、涼しく、とても静だ。数世紀の時間の流れがそこに淀んでいる。建物を登る階段は細く更に暗い。いくつ目かの階段を登ると塔の外側に出て、そこからはピラミッドの型をした尖塔の露天の回廊を登っていく。上に登るほど回廊は狭まり、レンガの欄干はさらに低くな。足許を見ると目が眩んだ。

 塔の上から見るパガンは異世界だった。緑まばらに果てしなく広がる薄茶色の砂原に、無数に散在するパゴダの群れ。雲のひだから洩れる太陽の放射状のスポットライトが天地を繋ぎ、平原に展開するパゴダの一群を明るく浮かびあげている。北東、遥かマンダレーから流れて来たイラワジ河が扇状地の西を通り、悠然と南に下って行く。銀色の流れの彼方にはチン高原の山並みが青く霞んでいた。

 眼下の溜め池で数台の牛車が牛に水を飲ませている。やがて、凱旋門に似た遺跡の下を互いに家路を競い合うように土煙をあげて走り去る。なんの音もここまでは届かない。絢爛たる情景と静寂に満たされている。シャン族やモン族、彼等を追い遣ったビルマ族、やがて押し寄せるモンゴルの騎馬軍団、諸民族の喚声がこの音の無い世界に満ちている。私は今何世紀ものタイムスリップを感じる。

 馬車に戻り御者台に揺られながら、心はまだ先ほどのパゴダの頂きに在って、乾いた平原の中を微かに砂塵を上げて遠のいて行く、小さな自分達の姿を鳥瞰する幻想に憑かれていた。



 
 
 ダマヤンジー寺院(Dhammayangyi Temple)の入口に馬車が止まると、子供が三人走り寄って来た。
「喉が渇いていませんか ?」
「少し渇いているよ。」
「それじゃ、スパークリン(ライムソーダ)を飲むね。」
「ああ、そうしょうか。」
 と答えた途端、10歳位の女の子と男の子が、それぞれ左右の腕をつかまえて寺院の中に引っ張っていく。

「私のお母さんから買って。」
「僕のお兄さんの店で買ってよ。」
 と口々に言っている。そのうちにビルマ語で言い合い始めた。お互いに、これは私の客だ、お前はあっちへ行け、と言っているらしい。少年の妹らしい5・6才の児も、お兄ちゃんを加勢して口を尖がらせる。

 建物に近付いて、なるほどと事情が分かった。階段を少し登ったところが踊り場になっていて、小さな机にジュースのビンを並べた店が二つ出ていた。女の子の母親らしい女性と、男の子の兄さんらしい若者が、苦笑いをしてこちらをみている。さて困った事になった。

「よし、コインで決めよう。」
 ルールを説明してコインを弾く。女の子が勝った。男の子は自分が負けた事がしばらく理解出来ず、分かるととても悔しそうな顔になった。私は子供相手のちょっとしたゲームのつもりだったが、少年にとっては遊びではなかった。

 女の子の方は上機嫌で、頼みもしないのに私に付いてきて、寺院を案内してくれた。どのように覚えたのだろう、英語がとても上手だ。少女の手足は針金のように細く、目と口がアンバランスに大きかった。ちびの女の子のくせにだみ声で、大人のようなしゃべり方をする。すでに逞しい生活力を感じさせる。

 チップをいくばくか渡し、他の子には気の毒だから絶対内緒だよというと、肩をすぼめて「オーケー、シークレット、シークレット。」と口をふさぐ仕草をする。しかし踊り場に戻って来ると、わたしにはとっても素敵な秘密があるよと言わんばかりの素ぶりでステップを踏んでいる。やっぱり女の子だ、秘密の約束も時間の問題のようだ。早々に退散した。

 夕方、馬車での周遊を了え、ツーリストパーマの前のカフェテラスでフルーツサラダを食べた。コーヒー付きで6チャットだ。南国の果実をふんだんに盛ったサラダは、きのうからほとんど何も食べていない私にとってこの上無いご馳走だ。ホテルに戻って飲んだビールも旨かった。日記を付けている時、トライショーをシェアしたボブが部屋を訪ねてくれて20分ほど話しをしていった。腹もほとんど直った。今最高の気分だ。 
   
     

7日目 機上からふたたび氾濫原を

     
 7月12日 土曜日
 ビルマに来て初めて熟睡でき、朝早く目が覚めた。シャワーを浴び、バッグを詰め直してコテージを出ると、戸外は朝の爽やかな光に満ちていた。

 空港行きのバスを待つ間河岸に出てみる。ラクダ色に濁ったイラワジ河が視野いっぱいに広がっている。遥か西の対岸、丘陵の高みに純白のパゴダが朝の光を受けて輝いている。米袋を積んだ小さな帆船が岸の近くを遡って来た。舵取りの男が一人と、あとは若い女性ばかりが四人乗って、はにかんだ微笑みを寄せる。上流の街、ニャウンウーの朝市に向かうのだろう。

 バスは来た。林立するパゴダとサボテンの間を走り抜けて行く。景色が明る過ぎる。まるで露出オーバーの映像を見ているみたいだ。旅は終り始めている。
 
 
 飛行機でバガンからラングーンのミンガラドン空港に戻って来た。バンコックに向けて出発するまで時間が有ったので、空港の外にでてみる。

 霧の様な雨が降っている。強烈な太陽の力を和らげてくれる雨だ。ようやくこの地で雨の有り難さが分かるようになった。蒸し暑いとは思わない。実際はよほど蒸しているのだけれど、あの太陽の威力を知った後では気にならない。小雨程度は有り難いものだ。

 空港のゲートから二十分ほど歩いた所に、小さな集落があった。熱帯林を切り開いた道の両側の僅かな空間に、マンダレーの河岸で見たものと変わらぬ簡素な家が並んでいる。家々に覆い被さる、豊かな緑が濡れて光っている。雨の中で男がロンジーをたくし上げ、灰色に塗装を重ねた古いホンダを修理している。

 若い母親と少女がバスを待っている。素足の少女の身にまとう紫のロンジー、ピンクのブラウスに雨が染み始めている。 
 
 
 タイ航空DC8は飛びたった。細い畔に桝目を引かれた無数の泥田と、幾筋にも別れた泥濁のイラワジ河が織り成すデルタの限り無い広がりを翼下に見て、機はテネセリム山脈を越えようと高度を上げる。やがて景色は雲にかすれていき、厚い雲の下にビルマが消えた。
  



「パガンの仏塔 ビルマ」完







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