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使命‥心及ぶ限りの命のため、わたしにできる命の使い方。 Me Can Do Something ‥       | ご質問・ご意見はこちら |

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 すべては運で決められる

二人の大学生  |  マレーシア東海岸系  |  マンダレーのスラム  |  何も選べない  |  幸せで満足な生涯
 
 

ほとんどの人が感じていながら、認めることにためらう真実‥
       「人生の全ては運で決められる」と私は旅で教えられた。

 
 

二人の大学生バックパッカー

     
 インド・ワーラーナシーのレストランで、二人の大学生バックパッカーと会った

アウランガーバード 野原の住民と夕暮 全てはガチャ、生まれる場所、親、時代を選べない

ベナレス ガンジス河 物憂げな少女
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 夕方、夕食を取ろうとガートに向う道筋のレストランに入ると、日本人の若者が二人食事をしていた。  ‥中略‥
 彼らはインドに来て数週間になると言う。チャーイ(シナモン入りのミルクティー)売りの少女に勧められ、その娘の笑顔がかわいのでつい飲み過ぎたと笑っていた。その少女にいつか日本に来たら知らせてと、住所を教えたと言っていたので、私は「そんなのよほど幸運なことがない限りとても無理だよ」と水を差した。
 「リキシャーの車夫でさえ1日で200ルピーの稼ぎだから、チャーイ売りの子はせいぜい100ルピー程度だろう。たいていはそのほとんどを親に渡し、生活費に充てていると思うよ。すべてを蓄えに回せたとしても、100ルピーを25日、12か月で7万円程度。そんなお金があったら、教育に回すのが先で、海外旅行は夢のまた夢だと思う。」
 二人は真顔になった。 ‥‥
 「東南アジア、特に貧しい地区を旅すると、自分が日本に生まれたことがとても幸運だと思うようになった。私もそうだが、たぶん君らも親に経済力があり、生まれ持った能力と多少の努力で大学に行くことが出来た。これって運じゃないかと思うんだよ。
 人は生まれる国も親も選ぶことができないだろう。もし自分が、町外れの野原にあるような、破れた布で覆っただけの小さなテントでハリジャン(不可触民)として生まれたら、どんな人生が待っていたかと私は考えてしまう。
 国や親もそうだし、生まれつきの健康とか知性や才能も、努力して得たものではないだろう。生まれた時代もそうだし、たまたまの運に過ぎないよ。
 あえて言えば、努力にしてもそうだと思うんだ。‥‥ 努力を才能だなんていうと、社会から袋叩きに会いそうだけどね。」
 彼らは「そうですね、国や親を選んで生まれるなんてできないですね‥本当に運ですね。今まで考えたことなかったですが、確かにそうなんだ‥。」と嘆息した。
--------------------- ガンジス ガート沿道のレストランにて------------------------
インドの旅の毎日、様々なシーンで「すべては運」の確信を深めた。
 

 
 

初めは、マレーシア東海岸のバックパッキンだった

     

津波が襲いかねない貧しい集落 全てはガチャ、生まれる場所、親、時代を選べない

 それを感じ始めたのは、マレーシア東海岸のバックパッキングだった。
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 クアンタンからコタバルの海岸沿いには、無数のカンポン・集落が続く。高床式のそれらの家々は、どれも日本人の目から見たら、バラックといってもよいほどの簡素なつくりだ。使っている木材は古いものが多く、屋根のトタンは錆びていたりするが、家の中はよく掃除され、清潔感がある。住む人々に笑顔は絶えず、特に子供たちは明るく元気で、みな幸せそうだ。しかし、子供たちが働いている姿もよく見掛け、学校に通えない子も少なくないようだ。

 貧富で人の幸せを図ることなどできない。
 貧しく見えるカンポンの生活は明るくのどかで、日本の都会でストレスにまみれる我々よりも、よほど幸せなのではないかとさえ感じる。しかしそこには、小さな子供を学校に通わせるのを制限したり、進学をあきらめて働いてもらわなければならない現実もある。病気をした時の不安もあるだろうし、津波が襲いかねない海岸や入り江に、住みたいと思って住んでいるわけではないだろう。だからみな、輪タクやサムロの運転手も必死に働いて、少しでも豊かになろうとしている。
 海岸沿いのバスの車窓に、美しく平和な光景と、そんな思いが交錯する。
----------------------- ✓ マレーシア東海岸 ランタウ・アバング ----------------------
 マレーシアの旅の時に、日本に生まれたことはすごく運のよいことだと感じた。しかしこのころはまだ「すべては運で決められている」とまでは考えなかった。努力で境遇を抜け出すことはできるだろうし、これから国そのものが発展していく中で、チャンスも増えるだろうと漠然と考えていた。
 
 

心にしみた、ビルマ・マンダレー近郊のスラム目にしたこと

     
 ビルマ(現ミャンマー)マンダレー近郊のスラムを目の当たりにて、なにかが心にしみこんできた。

イラワジスラムの水場  全てはガチャ、生まれる場所、親、時代を選べない

マンダレー イラワジ川スラムの水牛
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 市街地を少しはずれて走る。路面のあちこちに、牛車の落とす牛糞がかたまって落ちている。それが強い太陽の下で乾燥し、道に広がり、行き交うトラックやオートバイの車輪で、土埃のように巻き上がっている。その牛糞の黄色い靄を衝いて、トライショーが往く。

 着いたのはイラワジ(現エーヤワディー川)河岸の集落だ。案内のリキシャーの運転手が先に立って土手を歩いて行く。
‥‥ 東京からいなりここに連れて来られたのなら、目の前の状況が現実の事だと、すぐには理解できないだろう。ここは貧しいビルマの中の、更に貧しいスラムだ。ここに在る家は ‥‥ 竹の格子の、いかにも簡単な小屋ばかりだ。‥‥ 高床式のそれらのバラックは、皆わざとのたようにひどく歪んでいる。‥‥ 壁も無く、大きな布を垂らしただけのバラックの、その布が風でめくれたなびき、中に幼児の姿が見えた。
 川岸では、女性達が竹の筏の上で洗濯をしていた。その傍らを、まっ黒い大きな水牛が何頭も川に浸かり、土手を歩いている。筏の上に厠があった。炊事の支度も、この筏の上でするのだろうか。
 そんな言わば掃き溜めに ‥‥ 神秘的な陰りを秘めた、黒い瞳の美しい娘達を見かける。 ‥‥ いつか娘達は春をひさいで家族を助ける道を選ぶことになるのではないか。そんな寂しい想像が脳裏をよぎった。
 ‥‥ 小さな児が前も見ずに、布で作ったボールを追いかけ来て私にぶつかった。見上げると、見慣れぬ異邦人の顔がそこに有ったので、びっくりして飛びのき、一瞬不思議そうな顔をしたが、また仲間の所へ一目散に駆けて行き、遊びに熱中してる。詰まつていた息がふっと抜けた。
----------------------------- ✓ マンダレーのスラム------------------------------
 テレビでの旅番組やドキュメンタリー、ニュース報道などで、ここと変わらない貧しい国々の状況を見ていたはずだった。テレビの画面を通してみるのと、自分の生身を晒し強烈な太陽と湿気、臭い、喧噪を、五感全てで感じ取るのとではまるで違っていた。この場所で「全ては運」ではないのかと思い始めた。ビルマの旅の間に繰り返し思い返され、やがて「結局何もかも運なのだ」と覚った。



 
 

人は生まれるとき、何も選べない。 全てがガチャだ

     
 人は生まれた国や地域、その時代、親、貧富など育つ環境を選ぶことはできない。

 国や親を自分で選べないのと同様に、頭の回転が速い遅い、物覚えが良い悪い、物事に積極的か引っ込み思案かなどの知力や性格など精神的特徴も、背が高い低い、体力が強靭か虚弱か、運動神経が良いか悪いかなど、身体的能力もすべて先祖から受け継いだDNAの再現で、自分が努力して選んだ結果ではないだろう。

 学校ではこう教える。
「人の才能に高い低いは無い、努力次第であなたが望む何者にもなれる。」
「人には好みや得意・不得意は確かにある。だからあなたの得意なことで努力すれば、チャンスは平等です。」
努力を促すためにそう教えるのは意味があるかもしれないが、現実は果たして一人一人の「才能」に大きな差異は無く「努力」次第だろうか。

 「才能」に付いて考えてみる。
 現実の人生で、モーツァルトやアインシュタイン、ロジャーフェデラーになろうとして、いくら努力してもまず無理だ。ほとんどの人にそんな天才的な才能は無く、才能は努力によって得られるものでもない。

 「努力」とは何だろう。
 しばしば成功者から「私は人より才能が劣るから、人の二倍も三倍も努力して、やっと今の成果を得ることができた。」とのコメントを聞くことがある。正直に言えば、私もそう心がけるようにしている。

 新しいスポーツを始めると早くうまくなりたくて、暇さえあれば練習し、そのスポーツに合った体力作りもそれほど苦ではない。運動神経の良い人にとっては楽しい努力だ。試合に負けると涙をこぼし、何日も悔しくて負けた理由を考えて、努力に拍車がかかる。負けず嫌いな人は、やむに已まれずにそんな努力をする。弁護士になろうと目標を立て、六法全書や判例集をすべて覚えその意義を理解する努力を何年も続ける人もいる。真面目な人のひたむきな努力だ。

 しかしこれらは誰にでもできることなのだろうか。それができない人、努力の不得意な人も私の回りにも沢山いる。
 新しくテニスを始めたら楽しいことは楽しいが、雪の日にコートの除雪をしてまでやりたくないし、家に帰って空いた時間に筋力アップするなんてまっぴら、ビールでも飲んでテレビを見ていた方がよい。試合に負けて多少悔しくても1時間もすれば負けたことはすっかり忘れてしまう。弁護士は儲かりそうだから、司法試験を受けようと思ったが、覚えることがあまりに多くて、とても続けることは無理と簡単に断念する人もいる。物事の良しあしではなく、それが「やはり向こう三軒両隣ちらちらするただの人」だろう。

 努力が無駄とか、努力しなくてよいと言うのではない。努力をするべき状況でも努力できない人もいる。反対に、そんなに頑張るなと言っても、体を壊てまで努力を続けてしまう人だっている。「努力」もまた、DNAに記録された才能のひとつなのだ。
 
 

幸せで満足な生涯

     

 インド・ワーラーナシーのレストランで‥
 「東南アジア、特に貧しい地区を旅すると、自分が日本に生まれたことがとても幸運だと思うようになった。私もそうだが、たぶん君らも親に経済力があり、生まれ持った能力と多少の努力で大学に行くことが出来た。これって運じゃないかと思うんだよ。

 人生が「全ては運」で決まってしまうことを知ったとき、「幸運な我々はどうあるべきなのか」との自問が生まれる。
 「全ては運」なのだから、どうあるべきかなど考える必要は無なく、あるがままでよいというのも正しい答えの一つだろう。
 
 大事なのは「全ては運」を知った上で、どうあれば自分自身が幸せで満足する人生を過ごし、終わらせることができるかだ。